プリプロダクション2:物語の構造

プリプロダクション2:物語の構造

東京を拠点とする国際的なクリエイターチーム「ジャングルクロウ・スタジオ」が3000時間以上をかけて創り出したオリジナルSFユニバース『KIN』

 

連載第三回目はどのようにして物語そのものを構築し、ビジュアルと組み合わせていったのか、その工程をご紹介します。

 

 

なぜ物語が重要なのか
物語とその構造
再帰的ストーリーデザイン
複合的ストーリーテリング
絵コンテの制作と、物語の洗練

 


▲イラスト:『KIN―マイコシーン』より

 

『KIN―マイコシーン』はなぜアートブックで描かれるのか。バイオパンクというジャンルを選んだ理由は。
そしてどのようにその世界観は構築されていったのか。


これまでの連載において作品の根幹を成す思考プロセスをお話ししてきました。


この記事では、『KIN―マイコシーン』という物語を作るために使用したツールと考察を紹介します。

 

なぜ物語が重要なのか

 

物語とは、それぞれ因果関係をもって連なっていく「出来事」であり、その連なりこそが「意味」を生み出します。


物語は、小説や映画といったものばかりではなく、科学や政治や宗教、さらには日々の生活まで、人間のあらゆる経験のなかに存在します。

 

私たちが自我や個性と呼んでいるもの、それこそが実は物語であり、「自分」という物語がなければ「自分」は存在し得ないとまで、言う人もいます。

 

しかし、1990年台にはソビエト連邦が崩壊し、絶頂を極めた日本バブルも崩壊。

 

20世紀を代表する共産主義と資本主義という二つの物語が日本人の心の中で力を失っていく姿を見て、社会学者である宮台真司は、「終わりなき日常」という概念を提唱し、物語の持つ「経験から意味を見出す力(センスメイキング)」の終焉を説きました。

 

さらに、21世紀になっても物語の終焉は続きます。2011年の福島第一原発の事故や2020年より続く新型コロナウイルスのパンデミック。

 

これらの歴史的な出来事によって、人類の科学主義をはじめとする現代の物語は、失墜し続けているのです。

 

だからこそ、明日への希望を失い、世界を信じられなくなった時にこそ、私たちは何を成すべきなのか。
それこそが問題なのではないでしょうか。

 

宮台真司が言うように、意味もなく繰り返される不毛な日々を生き残るべく、私たちは現実を折り合いをつけるためにコミュニケーションスキルを磨き続けるしかないのでしょうか。

 

それとも風化して灰塵となった古い神話の上に、新しい物語を創造すべきなのでしょうか。

 

もっと自由で、もっと開明的で、未来に向けた希望の物語を。

 

私たちジャングルクロウ・スタジオは、それでも物語の力を信じたいのです。


だからこそ新しい物語を創造することを決意し、そのために先達の語る「良い物語とは何か」を学ぶこととしました。

 

 

物語とその構造

 

ジョージ・ルーカスの生み出した『スター・ウォーズ』は、近年、もっとも成功した物語の一つといえるでしょう。


彼は神話学者ジョセフ・キャンベルの名著『千の顔を持つ英雄』(1949年)から大きなインスピレーションを受け、『スター・ウォーズ』に英雄の基本的構造を持ち込みました。

 

英雄は、日常の世界から、超自然的な非日常の領域へと冒険に旅立つ。
その先で超人的な力に出会い、決定的な勝利をおさめる。
そして英雄は仲間に恩恵を与える力を手に、不可思議な冒険から帰還するのだ。

— ジョゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』

 

 


▲千の顔を持つ英雄

 

 

キャンベルは世界中の神話にはこの基底構造があると考え、それを「モノミス理論」と名付けました。


しかし、ここで疑問が浮かびます。


確かに、神話は人類が世界に抗う力を与えてくれました。しかしそれこそが人類の方向性を決定づけ、唯一の故郷である地球を傷つけ続ける原因なのだとしたら?


それでも私たちは、これまでと同じ物語をなぞり続けるべきなのでしょうか。

 

人類学や社会学的な思索で知られるSF作家アーシュラ・K・ル=グウィンは、この疑問についてはっきりとコメントしています。

 

彼女は『小説 ずだ袋理論(The Carrier Bag Theory of Fiction)』(『世界の果てでダンス』収録、1988年)という短いエッセイの中で、キャンベルの英雄的勝利の物語に代わるものを提唱しています。

 

 


▲千の顔を持つ英雄

 

 

今まで語られてきた「英雄物語」が、役目を終えようとしているのではないか、そう思うことがあります。その前に、新たな物語を語り始めた方がいいと考える人もいます。そうかもしれません。しかし困ったことに、私たちは皆、「殺人者の物語」の一部になってしまっているのです。「英雄物語」が終わることは、私たちも一緒に終わりを迎えることになるかもしれません。だからこそ私は切実に、もう一つの物語、語られていない物語、「生」の物語、それを描くにふさわしい本質や主題を探しているのです。

— アーシュラ・K・ル=グウィン『小説 ずだ袋理論』

 

 

 

“SF” について論じる学者のダナ・ハラウェイは、ル=グウィンを支持し、以下のようにコメントしています。

 

 

どんな物語が物語るのかが重要なのです。
そこにどんな縁が縁づくのか、どんな考えが考えられるのか。どのように説明が説かれるのか。どのような結びつきが結ばれるのか。
大事なことは、どんな物語が世界を作るのか、どんな世界が物語を作るのかなのです。

— ダナ・J・ハラウェイ『Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene』

 

 

「KIN」ユニバースにおける最初のプロットを考えるときに、私たちジャングルクロウ・スタジオのメンバーは、これらの貴重な考察を常に念頭に置いていました。

 

そしてチームとして新たな物語を語るために、より簡単に伝えることのできる「ツール」を探していました。


長年にわたり、キャンベルのモノミス理論は、時代や環境、クリエイターのニーズにあわせて調整を加えられながら多くの人々によって利用されてきました。

 

アメリカのTVアニメ「リック・アンド・モーティ」の原作・総監督であるダン・ハーモンは、この理論を誰でも簡単になぞることのできる8つのステップのテンプレートに作り変え、個別のエピソードからシリーズ全体の構造まで、あらゆる物語の構成に適用できるようにしました(1)。

 

このテンプレートを使えば、すべてを打ち負かすヒーローの物語だけでなく、"「生」の物語" のなかに苦悩するキャラクターの物語も作ることができるようになります。

そして、そのプロセスをチームメンバー間で共有することもより容易でした。

 

▲ストーリーエンブリオ, ダン・ハーモン

 

 

再帰的ストーリーデザイン


では、実際にダン・ハーモンのテンプレートを使って、どのように『KIN―マイコシーン』のストーリーを形作っていったのかをご紹介しましょう。

 

テーマと世界観がまとまり、本編の物語をダン・ハーモンのテンプレートに当てはめていきました。

 

シンプルな8つのステップを短時間に繰り返していくことで、物語自身が内包する課題や世界の利害関係が明確になっていったのです。



▲第1章から第4章までの初期構成を書いたホワイトボード。

 

物語自身が持つ課題や利害関係が見えてきたところで、これは面白いと思った「物語における立ち位置」をそれぞれのキャラクターに割り振っていきました。

 

さらにテンプレートを中心人物のストーリーに適用させていったのです。その結果、彼らの核となる動機や心情の変化を明確にすることができました。

 

そして、そのキャラクター個々のストーリーを本編に落とし込み、全体に反映させ、さらにまた洗練させていくというサイクルを繰り返していきました。

 

物語全体のプロットとキャラクター個々のストーリーという二つのスケールで、再帰的にハーモンの手法を繰り返していくことで、相互に関連した一貫性のあるストーリーを形作ることができました。

 

これにより、読者の皆さんには世界とキャラクターにリアリティがあり、ひとつひとつの選択や行動に意味のある物語を楽しんでいただけるものと期待しています。

 

こうやって物語の大枠が決定したのです。
その次の課題は、その物語をアートブックという媒体でどのように伝えるか・・という問題でした。

 

 

複合的ストーリーテリング

 

文章とイラスト。

 

この二つこそが、私たちが自由に使える物語を伝えるためのツールでした。この二つをどのように使い、どのように配置するかはとても心の躍る挑戦でした。


まず考えたことは、異なるキャラクター間で語り口調を分けなければならないということです。

 

したがって文章技法においては三人称を利用しないことにしました。

 

一人称視点で描くことで、物語は、それぞれのキャラクターが知っていること、感じていることに限られます

 

それは、読者の共感を生みやすい効果があります。

 

また、複数の登場人物たちで視点を行き来しながら、お互いに向ける感情を経験することで、読者はキャラクター同士の心情をまさに自分ごとのように心の中に構築することができるのです。さらに、複数の視点は、物語全体の広がりを生み出すことになります。

 

このプロセスは、『KIN』のテーマである人間と環境の間にある人間の本質を、読書体験にまで落とし込むのに最適な手法だと考えました。

 

一方で、文章と同じように重要なイラストについては、「KINの世界の広さと多様性」と「キャラクター間の相互作用」という二つを中心に描くことにしました。イラストに描かれる環境はそれ自体が物語の登場人物となり得ます。

 

イラストのアスペクト比としては映画やテレビドラマなどの映像表現で人気の高い2:1を選択。

世界を描画するための十分な広さを確保しつつ、必要に応じてキャラクターに焦点を当てるための適度な高さを確保しました。

 


▲見開きレイアウトの試作

 

文章とイラストの両方を活かすために、見開きごとに片面にキャラクター視点の物語を、もう片面にはシーンの重要な瞬間をイラストで表現するというレイアウトを採用しました。


この二つのどちらかに偏らないよう、バランスを取らなければなりません。


そこで、ストーリーの構成を考えながら、同時に絵コンテを描き始めました。アートブックの視覚的な要素が、最大限に効果を発揮できるようにするためです。

 

 

絵コンテの制作と、物語の洗練

 

クラウス・ピヨンは、絵コンテ制作の段階で重要な役割を果たしました。映画やマンガ、コミックの手法からインスピレーションを得ながら、一緒にストーリーの見開きにあわせて、複数のシンプルなスケッチを描きました。

 

素早くフィードバックを繰り返すことで、工程にとらわれず自由にグラフィカルな構成を検討し、視覚効果を探り、ビジュアルの意味合いを物語に反映させることができました。

 

全体的なメリハリやカット間の配置を確認するために、タスク管理ツール「Trello」を使用しました。

 

新しいイメージを追加したり、並び順を動かしたり、絵コンテのアングルを変えたり、ズームイン/アウトしたりしながら、数週間かけて作業の大部分を完成させました。

 

すると、ピクサーのブレイントラスト(2)にヒントを得て、友人や同僚との定期的なレビューミーティングを設定することができました。

 

それは誰もが物語に対してアイデアを提案することができるミーティングでした。

 


▲絵コンテを管理しているTrelloのスクリーンショット, 2019年8月28日

 

物語は何度もブラッシュアップを重ね、進化し続けていったため、最終的な絵コンテが完成したのは制作の最後の方でした。

最高の物語を作りたいという思いから、2年半かけて調整していったのです

 

この物語を描くにあたって、手探りの中での試行錯誤を繰り返しました。その全ての努力は、人類を取り巻く生命や環境について私たち自身の意識の変化が必要なのだと、皆さんと共有するためです。

 

『KIN―マイコシーン』を皆さんと分かち合える日を、心から楽しみにしています。

 

プロジェクトを確認する

 

(1) Story Structure 104: The Juicy Details, Dan Harmon 

(2) Inside The Pixar Braintrust, Fast Company